飛騨高山の町は天正年間(16世紀末)から飛騨を統治した高山城主・
                      金森氏6代(107年間)の城下町として発展しました。
   金森氏が、上ノ山(山形県)へ移されてからは、徳川幕府の直轄地となり
            江戸から代官や郡代がきて、役所をおき飛騨の政治をとりました。    
役所の名前を<高山陣屋>とよび明治まで、25代177年間続きました。 

高山城主金森氏の下屋敷の一つでした。
郡代所の建物が残っているのは、全国でも高山だけとか・・・


有名な陣屋前朝市,この他にも宮川朝市があります。私もほうば餅を買いました。(ほうの葉で御餅を包んである)



当時の町並みが、大事に残されています。 川に面した石段は、何に使われたのかな?


からくり人形・義経と弁慶 とても良く出来ていて、驚きました。


からくり人形は1600年代初め、徳川家お抱えの和時計師・津田助佐衛門によって
尾張の地で誕生し、やがて高山でも、祭りの山車の上で巧みな動きを競い合うようになりました。

今では、国指定重要文化財獅子会館の中に有る、
からくり上演場でお祭り以外でも見る事が出来ます。


踊りのような動作をして、くるっと向きを変える時顔が変わります。 このお人形はお茶を運んできます。

  日枝神社の春の山王祭(4月14,15日)  桜山八幡宮の秋の八幡祭(10月9,10日)の
               二つのお祭りの総称です。
               
               お祭りの起源は領国大名金森氏の時代(1585〜1692年)
               屋台の起こりは1718年頃にさかのぼります。
               残念ながら、お祭りは見る事が出来ませんでしたが、
               高山屋台会館で、屋台を見る事が出来ました。   

屋台会館は八幡宮の、境内にあります。中は屋台を傷めないように、撮影禁止でした。
館内にはガイドさんが居て、個人でも頼むと案内をしてくれました。





高山発の、ガイド無し路線バス兼用の、観光バスで白川郷へ行きました。
山道をくねくねと、バスは行きます。時々車内に説明のアナウンスが、流れます。
その中に、とても珍しい物が有りました
発電用のダムです。    でも、今まで見てきたダムとは違っていました。


上記の写真がそうです!見たところ高い砂利の崖のように見えますが、御母衣ダムです!
写真が撮りやすいように、バスを停車してくれましたが、あまり良く撮れませんでした。残念!

 

有名な桜の老樹です。残念ながら私が行ったのは秋ですので、写真は撮りませんでした。
            バスは止まってくれましたが・・・・この写真はコピーさせてもらいました。



   何時も思うのですが本州に行くと、時代が100年、1000年の単位で語られます。
   北海道生まれの私は、ただ、ただ驚くばかりです。
   え〜〜じゃ〜あの時習った、あの時代は此処?!!   確か歴史の時間に聞いたような?・・